趙氏貞とは? わかりやすく解説

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趙氏貞

(趙嫗 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 21:07 UTC 版)

趙氏貞(ちょうしてい、チェウ・ティ・チン、ベトナム語Triệu Thị Trinh / 趙氏貞黄武5年(226年)? - 赤烏11年(248年)?)は、3世紀呉国交州九真郡(現在のベトナム北中部タインホア省)の伝説的な反乱指導者。古記録では主に趙嫗(ちょう おう、チェウ・アウ、ベトナム語Triệu Ẩu / 趙嫗)の名で現れ、趙氏貞のほか婆趙(バ・チェウ、ベトナム語Bà Triệu / 婆趙)や趙貞娘(チェウ・チン・ヌオン、ベトナム語Triệu Trinh Nương / 趙貞娘)の別名でも知られている。身長などは伝わらない[1]が、乳房の長さは比較的新しいベトナム側史料では3もあったと伝わる。より古い中国側史料では乳長5尺または数尺と記されている。


  1. ^ 一部で身長9尺と言われるのは九真郡の地名による誤解が考えられる。
  2. ^ 尺の基準は時代により異なるが、本来は片手を広げた長さであるため3尺は後述の洗夫人(2尺余)と同様、両手でも収まらない長さの表現とも見られる。『初学記』巻8には乳房の記述は無いが『太平寰宇記』巻171は「乳長五尺」、『太平御覧』巻371、巻499、巻698、巻811は「乳長数尺」と記している。 史上稀に見る巨乳であるが『三国志』を著した陳寿は『益部耆旧伝』(現存しない)で前漢武帝が乳房の長さが7尺もある女性に出会ったこと、彼女の指名を受けた同郷人・張寛の活躍を後世に伝えた。


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