越智松平家とは? わかりやすく解説

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越智松平家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 14:16 UTC 版)

越智松平家(おちまつだいらけ)は、松平氏庶流武家華族だった家。江戸幕府6代将軍徳川家宣の弟である松平清武を家祖とし、親藩家門大名[注 1]として廃藩置県まで続き、明治維新後に華族の子爵家に列した。通字は「」(たけ)。


注釈

  1. ^ ただし、3代武元が老中首座に登ったのをはじめ、親藩としては例外的に、幕府の役職に就いた者がしばしば現れている。
  2. ^ 旧鶴田藩は現米2万660石(表高6万1000石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[12]
  3. ^ 高須藩主・松平義行の四男。
  4. ^ 常陸府中藩主・松平頼明の次男。
  5. ^ 讃岐高松藩主・松平頼恕の次男。
  6. ^ 将軍・徳川家斉の二十男。斉良を養子に迎えた際に養父の武厚も家斉から「斉」の偏諱を受けて斉厚に改名している。
  7. ^ 高須藩主・松平義建の三男。
  8. ^ 水戸藩主・徳川斉昭の十男。

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、百科事典マイペディア、旺文社日本史事典 三訂版、世界大百科事典 第2版『松平氏』 - コトバンク
  2. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、世界大百科事典 第2版『松平清武』 - コトバンク
  3. ^ 新田完三 1984, p. 495.
  4. ^ a b c 新田完三 1984, p. 496.
  5. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)、藩名・旧国名がわかる事典 百科事典マイペディア『館林藩』 - コトバンク
  6. ^ a b 新田完三 1984, p. 497.
  7. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)、藩名・旧国名がわかる事典 百科事典マイペディア『浜田藩』 - コトバンク
  8. ^ a b 新田完三 1984, p. 498.
  9. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)『鶴田藩』 - コトバンク
  10. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  11. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  12. ^ 浅見雅男 1994, p. 150.
  13. ^ 小田部雄次 2006, p. 337.
  14. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 389.


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