講堂の寄進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/02 09:24 UTC 版)
ある日、彼女は九倶胝(倶胝は一説に億とするので、9億か?)の価値のある晴衣をつけて祇園精舎に至った。仏前に至る前に晴衣を脱いで下婢に持たしたが、還る時に下婢がこれを忘れた。阿難がこれを階段の一隅に掛けておいた。後にヴィサーカーがこれを知ったが、上座の手に触れたるものを取る能わずとして、その価値に相当するものを奉献せんと願い、仏の御言に依って精舎建立を決意し、目連を監督として九倶胝を費やし9ヶ月で完成した。上下2階に各々500の室があり、また講堂があり、そのために鹿子母講堂と呼ばれるようになった。建築および安居を願う事などにより、総額二十七倶胝(27億?)を費やしたという。ヴィサーカーはこれが成就すると、歓喜の偈を謳い講堂を巡ったという。
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