諏訪神社 (智頭町)とは? わかりやすく解説

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諏訪神社 (智頭町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 15:46 UTC 版)

諏訪神社

拝殿
所在地 鳥取県八頭郡智頭町大字智頭宮前
位置 北緯35度16分16秒 東経134度13分53秒 / 北緯35.27111度 東経134.23139度 / 35.27111; 134.23139
主祭神 建御名方神
創建 1278年弘安元年)
例祭 4月27日10月27日
主な神事 柱祭り(6年おき)
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、鳥取県八頭郡智頭町にある神社。創建は鎌倉時代弘安元年(1278年)であり、信州諏訪大社の分霊を奉るため建てられた。江戸時代鳥取藩池田家の祈願所として栄えた。

牛臥山の山麓に鎮座し、参道は智頭往来に接する。境内には古より社紋であるが数百本繁茂しており、秋は紅葉の名所として賑わう。

由緒

  • 弘安元年(1278年) - 信濃国諏訪大社の分霊を勧請奉祀し、諏訪大明神の社号で創建。
  • 天正11年(1583年)12月 - 羽柴秀吉の淀山攻略の兵火を受けて焼失。
  • 江戸時代 - 鳥取藩池田家の祈願所となる。
  • 天明2年(1782年) - 柱祭りを開始。
  • 天保3年(1832年)11月 - 本殿を再建。
  • 慶應4年(1868年)8月 - 合祭神を期に諏訪神社に改号。
  • 1904年(明治37年)1月 - 幣殿・拝殿・釣殿を改築。

境内

柱祭り

天明2年(1782年)より、信濃国諏訪大社御柱祭に倣った「柱祭り」が行われている。以来6年ごとの申年寅年の4月に、柱を献上する者の山から4本のが伐り出され、町内を練り歩いた後、宮入りして本殿四隅に建立される。

2001年(平成13年)3月23日、諏訪神社の柱祭りが鳥取県指定無形民俗文化財に指定された[1][2]

文化財

鳥取県指定無形民俗文化財

  • 諏訪神社の柱祭り - 2001年(平成13年)3月23日指定。

智頭町保護文化財

  • 智頭宿全図(古文書) - 1987年(昭和62年)11月25日指定。

関連人物

  • 国米泰石 - 仏師。母は諏訪神社の神主の娘。

交通アクセス

ギャラリー

脚注

  1. ^ 諏訪神社の柱祭り 鳥取県教育委員会、2015年4月29日閲覧
  2. ^ 智頭町の指定・登録文化財 智頭町

関連項目

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