西行伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 15:11 UTC 版)
この鳥居には保元3年(1158年)に西行が瀧山参詣の際に訪れ、 瀧の山 かへりまうでの 袖ふれて いしの鳥居も 細らぎやせし という和歌を残したという伝承が残っている。 ただし、この歌を詠んだのは実際には西行ではなく、上山藩の儒学者五十嵐于拙である。于拙がこの歌の詞書に「西行上人ももうで給ひて、花の一首を残し玉ふ名所なりけらし」と記載したため、「花の一首」が上記の歌を指すと後世に誤解されたことによる。 なお、本来の「花の一首」とは、西行の山家集にある たぐいなき おもひいではの桜かな うすくれなひの 花のにほひは である。この歌の詞書に「出羽国にこえて、たきの山と申す山寺に侍りけるに」とあることによるが、この「たきの山」が瀧山を指すのかに関しては古くから論争があり、瀧山を指すとする説と山形市内の本沢地区にあった滝の山廃寺を指すとする説があり未決着となっている。
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