西福寺 (西尾市)とは? わかりやすく解説

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西福寺 (西尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 01:57 UTC 版)

西福寺
所在地 愛知県西尾市吉良町吉田桐杭27
位置 北緯34度48分1.4秒 東経137度4分5.3秒 / 北緯34.800389度 東経137.068139度 / 34.800389; 137.068139座標: 北緯34度48分1.4秒 東経137度4分5.3秒 / 北緯34.800389度 東経137.068139度 / 34.800389; 137.068139
山号 北星山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来坐像
開山 建長6年(1254年
開基 北条時頼
中興年 文安元年(1444年
中興 章久養玉上人
文化財 西福寺鐘楼(愛知県指定有形文化財
法人番号 8180305007178
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伊賀八幡宮から移築された鐘楼

西福寺(さいふくじ)は、愛知県西尾市吉良町吉田桐杭27にある浄土宗寺院

概要

山号は北星山。本尊阿弥陀如来坐像江戸時代前期の鐘楼が愛知県指定有形文化財に指定されている。

歴史

建長6年(1254年)、北条時頼が諸国を巡遊していた折に創建された[1]。当初は大きな伽藍を持つ天台宗の寺院だったが、元弘元年(1331年)には兵火で焼失した[1]。焼け跡に道全沙弥が草庵を結ぶと、名古屋熱田の正覚寺から章久養玉上人が泊まった折に、この地で悟りを開いて堂塔を再建した[1]。この際に浄土宗に改宗し、文安元年(1444年)に西福寺と名づけられた[1]。章久養玉上人は草庵の頭上の北斗七星に感見を受け、北星山という山号を与えている[1]明治4年(1871年)には岡崎伊賀八幡宮から鐘楼が移築された[2]

文化財

愛知県指定有形文化財

西福寺鐘楼(建造物)[3][2]
桁行三間、梁間二間の袴腰付。もとは徳川家光によって再建された伊賀八幡宮の鐘楼であり、諸建築物が建立された寛永13年(1636年)頃のものとされる。明治初期には神仏分離令が施行され、伊賀八幡宮から仏教色の強い鐘楼が排除されることになったため、西福寺に移築された。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 町村合併10周年記念町誌編集委員会『吉良町誌』吉良町、1965年、447頁
  2. ^ a b 西福寺鐘楼 西尾市観光協会
  3. ^ 西尾市の文化財 西福寺鐘楼 西尾市

参考文献

  • 町村合併10周年記念町誌編集委員会『吉良町誌』吉良町、発行年:1965年



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