西福寺古墳とは? わかりやすく解説

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西福寺古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 14:21 UTC 版)

西福寺古墳

墳丘
所属 馬絹・梶ヶ谷古墳群
所在地 神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷
(梶ヶ谷第3児童公園内)
位置 北緯35度35分10.07秒 東経139度36分26.70秒 / 北緯35.5861306度 東経139.6074167度 / 35.5861306; 139.6074167座標: 北緯35度35分10.07秒 東経139度36分26.70秒 / 北緯35.5861306度 東経139.6074167度 / 35.5861306; 139.6074167
形状 円墳
規模 直径35m
高さ5.5m
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 5世紀後葉-6世紀初頭
史跡 神奈川県指定史跡「西福寺古墳」
地図
西福寺古墳
神奈川県内の位置
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西福寺古墳(さいふくじこふん)は、神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷にある古墳。形状は円墳。馬絹・梶ヶ谷古墳群を構成する古墳の1つ。神奈川県指定史跡に指定されている。

西福寺は近傍の寺(同区梶ヶ谷5丁目)。

概要

神奈川県北東部、矢上川左岸の丘陵台地上に築造された古墳である。1982年昭和57年)に確認調査が実施されている[1]

墳形は円形で、直径35メートル・高さ5.5メートルを測る[1]。墳丘外表には円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(水鳥形埴輪)が認められ[1]白井坂埴輪窯跡(川崎市宮前区犬蔵)における製作とされる[2]。墳丘周囲には幅6.0-7.5メートル・深さ0.7-0.8メートルの周濠(空濠)が巡らされる[1]。埋葬施設は未調査のため明らかでない[1]。築造時期は古墳時代中期-後期の5世紀後葉-6世紀初頭頃と推定される[1]

古墳域は1980年(昭和55年)に神奈川県指定史跡に指定された[1]。現在では梶ヶ谷第3児童公園内で保存されている。

遺跡歴

  • 1964年昭和39年)以降の梶ケ谷土地区画整理事業に際して保存措置[1]
  • 1970年(昭和45年)8月26日、川崎市指定史跡に指定[1]
  • 1980年(昭和55年)9月16日、神奈川県指定史跡に指定[1]
  • 1982-1983年(昭和57-58年)、保存整備事業。
    • 1982年(昭和57年)8月、測量調査・確認調査(西福寺古墳発掘調査団)[1]

文化財

神奈川県指定文化財

  • 史跡
    • 西福寺古墳 - 1980年(昭和55年)9月16日指定[1]

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 西福寺古墳発掘調査団編 編『県史跡西福寺古墳 保存整備報告書』川崎市教育委員会、1989年。 

関連項目

外部リンク




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