西側からの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 14:05 UTC 版)
「Tu-98 (航空機)」の記事における「西側からの評価」の解説
Tu-98は航空ショーに参加したことがある。1956年にモスクワ郊外の基地で行われた航空ショーで、西側関係者の前にお披露目された。その他の試作戦闘機2機を伴って、会場の上空をフライパスしたTu-98だったが、西側の関係者はこれを「ソ連の新型爆撃機」であると誤認した。その後、Tu-98は事故で失われたが、西側では「謎の爆撃機」として引き続き認識されており、「ヤコブレフ設計局が開発したYak-42という機体ではないか」「月産15機の量産体制が敷かれているらしい」などの話がまことしやかに噂された。Tu-98のデータを応用しており、形状が似ているTu-22などが試験に供されていることも手伝い、謎の爆撃機はますます信憑性を強めてしまったという。Tu-98が試験機で、実戦配備されていないことが西側に知られたのは1960年になってからだった。
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