行房・行尹兄弟と尊円法親王
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行能以後、世尊寺流は定型化、形式化の傾向が顕著となり、しばらく年とともに衰えてゆくが、そのような中、世尊寺流でも有数の能書である第11代・行房が出て後醍醐天皇の寵愛を受けた。しかし、若くして戦死(自刃)したため、弟の行尹が第12代として家を継いだ。この行房・行尹兄弟は、後に書論『入木抄』の著者として知られる尊円法親王に書法の指導を行い、やがて尊円法親王は御家流を創始するに至る。これについて『入木口伝抄』の奥書に、「応長元年(1311年)、伏見天皇は尊円法親王(当時14歳)に第10代・経尹(つねただ)から入木道秘伝を伝授させようとしたが、経尹は老齢(当時65歳)のため、行尹(当時26歳)に代行させた。(趣意)」とある。
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