衆院議長辞任・死去
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1978年11月総裁選告示の翌日、肝臓がんで入院。大平の総裁選勝利を見届け「大平総裁でわたしの使命は終わった。大平の門出はわたしがやってやらなきゃ」とつぶやいた。12月7日の首相指名選挙では病を押して議長席についた。1979年1月の施政方針演説と各党代表質問が終わると辞任。 議長退任間もない1979年3月4日に、心不全のため東京都港区西新橋の東京慈恵会医科大学附属病院で死去。享年77。墓は佐賀県唐津市山本の万徳寺にある。法名は、正覚院釋祥瑞。 文部大臣、自治大臣を務めた衆議院議員の保利耕輔は長男。副総理、自民党副総裁を務めた金丸信は保利を師と仰ぎ、一時期、髪型まで真似する程、傾倒したといわれる。
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