蟹ヶ谷古墳群とは? わかりやすく解説

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蟹ヶ谷古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 03:20 UTC 版)

蟹ヶ谷古墳群

概観
(3号墳(右)・1号墳(中央奥)・2号墳(左奥))
別名 蟹ヶ谷伊勢台古墳群
所在地 神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷
位置 北緯35度33分58.3秒 東経139度38分06.2秒 / 北緯35.566194度 東経139.635056度 / 35.566194; 139.635056座標: 北緯35度33分58.3秒 東経139度38分06.2秒 / 北緯35.566194度 東経139.635056度 / 35.566194; 139.635056
形状 前方後円墳1基、円墳3基以上
規模 全長30メートル(1号墳)
出土品 埴輪
築造時期 6世紀7世紀
被葬者 不明
史跡 なし
特記事項 川崎市内で唯一前方後円墳が現存
地図
蟹ヶ谷
古墳群
神奈川県内の位置
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蟹ヶ谷古墳群(かにがやこふんぐん)は、神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷にある古墳時代後期(6世紀~7世紀)の古墳群。市内で唯一前方後円墳が現存する古墳群とされる。

概要

矢上川右岸、東急東横線元住吉駅から西に1.5キロメートルほど離れた神奈川県立中原養護学校北側の「神庭特別緑地保全地区」と呼ばれる高台の縁に所在する。

高台上部に3基の古墳が並んでいるが、矢上川に下る斜面にも古墳と見られる高まりが複数あり、5基以上存在すると考えられている[1]。また斜面には横穴墓(蟹ヶ谷横穴墓群)も存在する[2]

既知の3基は円墳と考えられていたが(書籍によっては伝承に云われる「井田城」の土塁櫓台ではないかとするものもある[3][4])、内1基が前方後円墳である可能性が出てきたため、古墳群の実態解明を目的に川崎市と専修大学日本大学が協力し、2012年度(平成24年度)~2016年度(平成28年度)にかけて墳丘測量発掘調査を行った[5][6]。その結果、中央の1号墳は全長30メートル以上の前方後円墳で、周溝と見られる溝や埴輪片が出土し、6世紀後半~末の築造と判明した[7]。埋葬遺構は破壊されていたが、石棺の石材破片が発見された[8]

2号墳・3号墳では埴輪が発見されず、1号墳に後続する6世紀末~7世紀初頭の円墳と判断された[9]

脚注

  1. ^ 土生田純之 2016, p. 5-6.
  2. ^ 高久健二 2017, p. 3.
  3. ^ 大類 1967 pp.80
  4. ^ 児玉・坪井 1980
  5. ^ 土生田純之 2016.
  6. ^ 高久健二 2017.
  7. ^ 高久健二 2017, p. 5.
  8. ^ 土生田純之 2016, p. 3.
  9. ^ 高久健二 2017, p. 6.

参考文献

外部リンク




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