藤野亀之助
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藤野 亀之助(ふじの かめのすけ、1867年5月27日(慶応3年4月24日) - 1920年(大正9年)1月7日)は、日本の実業家。大阪株式取引所理事長、大阪電気軌道取締役、電気化学工業監査役、王子製紙取締役、豊田紡織取締役、大日本セルロイド取締役などを歴任した。
人物・経歴
埼玉県生まれ[1]。商法講習所(現一橋大学)で外国語を学んだ。三井物産で、綿糸部主任、大阪支店次長、大阪支店長を歴任し、大阪商業会議所特別議員も務めた[2]。また、豊田佐吉の豊田式織機事業を推進し[3]、豊田式織機相談役を務めた[2]。
1915年大阪株式取引所理事長[4]、大阪電気軌道取締役[5]、電気化学工業監査役[6]。1917年王子製紙取締役[7]。1918年豊田佐助の菊井紡織設立にあたり、児玉一造らとともに出資を行い[8]、同年豊田紡織取締役[9]。1919年大日本セルロイド取締役[10]。
親族
豊田紡織の大株主の地位を継ぎ[11]、トヨタ自動車工業設立時にも出資して大株主となり同社取締役も務めた藤野勝太郎元藤野合資会社代表社員は長男[12][13]。小畑忠良元愛知県知事や澤村宏京都大学名誉教授は娘婿[13]。
脚注
- ^ 木山実「藤野亀之助論 : 三井・トヨタ関係構築史」『商学論究』第58巻第3号、関西学院大学商学研究会、2011年3月、1-21頁、CRID 1050282814184834816、 hdl:10236/7287、 ISSN 02872552、 NAID 40018748280。
- ^ a b 藤野龜之助 (第4版 大正4(1915)年1月 の情報)日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 第2節 豊田佐吉の事業 第2項 豊田紡織株式会社の設立トヨタ自動車75年史
- ^ 大阪証券取引所『大阪証券取引所十年史』(1964.12)渋沢社史データベース
- ^ 近畿日本鉄道(株)『50年のあゆみ』(1960.09)渋沢社史データベース
- ^ 電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)渋沢社史データベース
- ^ 王子製紙(株)『王子製紙社史. 附録篇』(1959.10)渋沢社史データベース
- ^ 第3項 株式会社豊田紡織廠などの設立トヨタ自動車75年史
- ^ 第2項 豊田紡織株式会社の設立 トヨタ自動車
- ^ 大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)渋沢社史データベース
- ^ 牧幸輝「豊田利三郎と豊田業団」『経営史学』第46巻第2号、経営史学会、2011年、2_49-2_73、 CRID 1390282680304075648、doi:10.5029/bhsj.46.2_49、 ISSN 0386-9113。
- ^ 大株主の推移トヨタ自動車
- ^ a b 藤野勝太郞 (第8版 昭和3(1928)年7月 の情報)日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
藤野亀之助
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藤野亀之助は、佐吉の才能を高く評価し、融資などの支援を行った。また資金面を強化するため、事業の株式会社化を提案した。これを受け、谷口房蔵、田中市太郎、志方勢七、山辺丈夫、藤本清兵衛、岡谷惣助、伊藤伝七、斎藤恒らが発起人となり1906年に豊田式織機が設立された。その後も支援を続け、1918年の豊田紡織設立時には、保有比率30%弱の大株主となった。
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