志方勢七とは? わかりやすく解説

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志方勢七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 08:20 UTC 版)

志方 勢七(しかた せいしち、1860年11月6日万延元年9月24日)- 1921年大正10年)9月25日)は、日本の実業家。摂津製油(現・セッツ)社長や、日本綿花(現・双日)社長を務めた。

人物・経歴

兵庫県出身[1][2]大阪初の小学校である西大組第六番校(のちの小学校)に学び、同窓に金沢仁作大林芳五郎、田中市太郎らがいた[3]摂津製油(現・セッツ)社長に就任し[1][2]、1896年の大阪瓦斯設立時には発起人を務めた[4]。1907年に箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が設立されると同社取締役に就任[5]。同年豊田佐吉の豊田式織機(現・豊和工業)設立に際して発起人となり、設立後には取締役に就任[1][2][6]。1910年からは日本綿花(現・双日)社長を務め、フォートワース青島市天津市での出張所開設などを進めた[7]。1920年大同電力取締役。日本水力取締役[8]日本火災保険(現・損害保険ジャパン)取締役[9]、泉尾綿毛製紙会長、和泉紡績取締役等も歴任した[1][2]。死後邸宅を改装して大阪星ヶ岡茶寮が作られた[10]

脚注


先代
田中市兵衛
日本綿花社長
1910年 - 1917年
次代
喜多又蔵



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