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喜多又蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 05:38 UTC 版)

喜多又蔵

喜多 又蔵(きた またぞう、1877年明治10年)9月11日 - 1932年昭和7年)1月31日)は、日本実業家日本綿花(現双日)社長や、鈴政式織機社長を務めた。

人物・経歴

奈良県南葛城郡葛城村(現御所市)字鳥井戸で、金剛山下の酒屋喜多長七郎の三男として生まれる。1894年に市立大阪商業学校(現大阪市立大学)を卒業し、成瀬隆蔵校長の紹介で日本綿花(現双日)に入社[1][2][3]田中市兵衛の知遇を得て、ムンバイ支店長、本店支配人常務取締役を経て、1917年から社長を務め、東洋棉花(現豊田通商)の児玉一造仕手で争いを繰り広げた[4][3]。1919年には第一次世界大戦パリ講和会議全権大使隨員を務め勲三等に叙された[1][5]。1920年鈴政式織機(現エンシュウ)社長[6]。1922年旭絹織(現旭化成)社長[7]。1930年紺綬褒章受章[8]。趣味は囲碁[1]

脚注

  1. ^ a b c 喜多又藏 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
  2. ^ 「喜多又藏君/367」『諸家稜々志』(商工重宝社, 1915)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b 「二十六歳で支配人となつた利け者 日本棉花社長 喜多又藏/79」湯本城川著『財界の名士とはこんなもの?. 第3巻』(事業と人物社, 1925) (国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 山崎一保氏 綿花ひと筋、黄金期の参謀 市場経済研究所代表 鍋島高明日本経済新聞2018/7/14 5:30日本経済新聞 電子版
  5. ^ 「日本綿花喜多又蔵、講和使節随員に」双日資料館
  6. ^ 会社沿革エンシュウ
  7. ^ 旭化成(株)『旭化成八十年史 : 資料編』(2002.12)渋沢社史データベース
  8. ^ 「 彙報 / - / - / 紺綬褒章飾版下賜喜多又藏外五名/p407」官報. 1930年03月15日
先代
志方勢七
日本綿花社長
1917年 - 1932年
次代
南郷三郎



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