藤枝家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 09:50 UTC 版)
寛政重修諸家譜によると養子先の藤枝家は、徳川家光側室の順性院(お夏)の父の岡部重家を家祖とし、藤枝方孝の代で甲府藩家老になって藤枝氏を称した家であった。方教の代で綱重の子の徳川家宣が将軍に就任した際に、甲府藩領は幕府直轄として収公され、藩家臣団も幕臣として吸収されたため、藤枝家の子孫は幕府直参として4500石の大身旗本となった。なお、方教の長女が徳山秀栄(又兵衛)の正室となり、後に離別しているが、これが教行の祖母にあたる。 4500石の旗本寄合席になって以降の藤枝家は、教行の実父や舅のように目立った幕職に就くことはなく、武鑑において大叔父の藤枝豊忠が駿府加番や寄合金上納支配として掲載されている程度であった。
※この「藤枝家」の解説は、「藤枝教行」の解説の一部です。
「藤枝家」を含む「藤枝教行」の記事については、「藤枝教行」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から藤枝家を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 藤枝家のページへのリンク