藤原長季
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/18 05:34 UTC 版)
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 文治3年(1187年) |
死没 | 寛元2年(1244年)以降 |
改名 | 成能→長季 |
官位 | 従三位・非参議 |
主君 | 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家季茂流 |
父母 | 父:藤原季能、母:平基盛の娘 |
兄弟 | 範実、長季、経季、季輔 |
子 | 盛長 |
藤原 長季 (ふじわら の ながすえ)は、鎌倉時代中期の公卿。藤原北家末茂流。兵部卿・藤原季能の次男。官位は従三位・非参議。初名は成能。
経歴
伊豆守、周防守、中宮亮を歴任し、建保4年(1216年)従三位・非参議に叙せられ、公卿に列する[1]。しかし、嘉禄2年(1226年)6月に文書偽造の罪を咎められ[2]、謹慎を命じられる[1][2]。寛元2年(1244年)出家[1][3]。出家後の消息は不明。
官歴
『公卿補任』による
- 時期不詳:叙爵(従五位下)
- 建久10年(1199年) 正月5日:従五位上
- 正治2年(1200年) 4月1日:伊豆守
- 元久元年(1204年) 4月13日:少納言
- 元久2年(1205年) 正月5日:正五位下
- 承元3年(1209年) 10月30日:従四位下、周防守
- 建暦元年(1211年) 4月1日:中宮亮
- 建暦2年(1212年) 11月11日:従四位上
- 建保元年(1213年) 4月26日:正四位下
- 建保4年(1216年) 3月28日:従三位・非参議
- 寛元2年(1244年) 5月11日:出家
系譜
脚注
- 藤原長季のページへのリンク