藤八家と出機(でばた)織布
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「石川藤八 (7代目)」の記事における「藤八家と出機(でばた)織布」の解説
石川藤八家は江戸時代中期から続く知多郡乙川村の庄屋であった。乙川村においては最も大きい庄屋ではなかった。だが、他の庄屋とは異なり、年貢米だけではなく海産物や繊維も扱っていた。特に、幕末から明治期にかけては出機織布を手広く手掛けた。出機織布は各家に糸を配り、各家にある織機で布に織ってもらう、その織り上がった綿布を回収する仕事である。織機を持っていない家には織機を貸し出すこともあった。 この出機織布を六代目藤八が軌道に乗せた。七代目藤八も引き続き出機織布に力をいれた。だが、七代目は出機織布は効率が悪いと考えていた。出来上がった綿布は知多郡岡田村の買継問屋に納めた。岡田ではその買継問屋が同時に大きな織布工場を経営していた。工場では最新の織機を導入していた。一部には外国製織機もあった。しかし、それらの織機は高価でとても出機織布に使えるようなものではなかった。 このような時期に豊田佐吉という糸繰返機(かせくりき)の販売と織機の研究をしている男が藤八家へやって来た。藤八家の二階に空いている六畳間があった。藤八にとっては書生か居候を一人余分に置くくらいの気持ちであった。とりあえず、住まわせてみることにした。
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