藍天鵝墜落事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 16:37 UTC 版)
「トランスアジア航空」の記事における「藍天鵝墜落事件」の解説
1958年10月1日、PBY-5A水陸両用飛行機藍天鵝が5時45分に7名の乗客を乗せ馬祖島を出発し、6時10分に台北へ向け、「高度1フィート距離台北の80浬」と交信をした後失踪。アメリカの軍事顧問4名が同乗していたことにより、アメリカ第7艦隊と台湾当局による72時間に渡る捜索でも墜落の痕跡を発見できず、10月1日が中華人民共和国の建国記念日であったこと、また連江県長の王緒や馬防部副参謀長鈕英らを乗せていたことより、王によりハイジャックされ中国本土へ亡命したと考えられ、運航業務を停止し業態転換を図った。2012年、馬祖島の漁師の網にプロペラが掛かり解析した結果、2014年に米国ハミルトン・スタンダード社製のPBY-5Aに使用されたのものと判明し、藍天鵝のものと確定。これにより、55年余りを経て墜落していたことが明らかとなった。2015年1月現在も墜落理由は判明しておらず、陰謀論も出ている。引き上げられたプロペラは高雄空軍基地で陳列展示されている。
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