蔣経国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:19 UTC 版)
中華人民共和国の鄧小平は改革開放政策を打ち出し、毛沢東時代のように資本主義の中華民国を敵視せず、「台湾解放」という従来の姿勢を転換し、「平和統一」「一国二制度」を呼び掛け始めた。しかし、当時の中華民国政府は、強権的だった蔣介石の死後、重しがとれたことで民主化要求が抑え切れないという不安定な状況にあった。そのため、蔣経国総統は中華人民共和国の呼びかけに応えることをためらい、「不接觸、不談判、不妥協的(接触しない、交渉しない、妥協しない)」という「三不政策(三つのノー政策)」を掲げた。その一方で、敵対政策を転換する必要性も徐々に認識され、老兵(中華民国国軍の退役兵士)の要請を受けて中国大陸の家族・親戚を訪問することも解禁して密使の沈誠を北京に派遣して大陸部工作指導チーム設置などを指示した。
※この「蔣経国時代」の解説は、「一つの中国」の解説の一部です。
「蔣経国時代」を含む「一つの中国」の記事については、「一つの中国」の概要を参照ください。
- 蔣経国時代のページへのリンク