蒙藏條約とは? わかりやすく解説

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チベット・モンゴル相互承認条約

(蒙藏條約 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 04:44 UTC 版)

チベット・モンゴル相互承認条約(チベット・モンゴルそうごしょうにんじょうやく、蒙古西蔵条約蒙蔵条約とも)は、1913年1月11日モンゴルウルガにおいて、モンゴルのボグド・ハーン政権チベットガンデンポタンラサに本拠を置き、ダライ・ラマを元首とするチベットの政府)との間で締結された条約


  1. ^ 条約文冒頭には、「チベット・モンゴルの二国はマンジュ・コンマ(文殊皇帝陛下)の支配から離れ、中国とは別々となった」とある。
  2. ^ 条文本文は東亜同文会調査編纂部編『支那』第4巻第5号(東京:東亜同文会、1913年3月1日)45頁記載の訳分。条文本文は、引用に際して旧字体新字体に改められている。
  3. ^ Sha sgab pa, Bod kyi srid don rgyal rabs(An Advanced Political History of Tibet), Kalimpong, 1976. pp.633-635より翻訳、
  4. ^ ヤルタ協定”. 日本外交主要文書・年表(1),56‐57頁.条約集第24集第4巻. 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 (1945年2月11日). 2011年1月10日閲覧。


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