葵橋洋画研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:16 UTC 版)
1898(明治31)年、白馬会洋画研究所として菊池鋳太郎の自宅に開設された。翌年、赤坂区溜池町の合田清の工房に移転、東京美術学校卒業生や一般洋画専攻者の研究機関(実技・フランス語、西洋美術史)として使われた。他の研究所(菊坂研究所、駒込研究所)の開設に伴い、白馬会葵橋洋画研究所と改名。1911(明治44)年の白馬会解散後も存続していたが、1923(大正12)年の関東大震災後に姿を消した。 初期の出身者に小林万吾、白瀧幾之助、湯浅一朗など。他に和田三造、岸田劉生、岡本帰一、清宮彬、木村荘八、牧野虎雄、川路柳虹などが出ている。
※この「葵橋洋画研究所」の解説は、「白馬会」の解説の一部です。
「葵橋洋画研究所」を含む「白馬会」の記事については、「白馬会」の概要を参照ください。
- 葵橋洋画研究所のページへのリンク