葛木寺
葛木寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)
葛木寺は、『法王帝説』には「葛木氏に賜ひき」と記されることから葛城氏の氏寺が、後世に太子建立に数えられるようになったと考えられる。この葛木氏は太子の側近で、丁未の乱にも参陣した葛城烏那羅とされる。葛木寺の所在地は不明だが、『日本霊異記』などには豊浦寺の西にあったと記されており、橿原市の和田廃寺に比定する説が有力である。和銅3年(710年)に平城京遷都と共に移転するが、宝亀11年(780年)に落雷により焼失し現存していない。
※この「葛木寺」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「葛木寺」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。
- 葛木寺のページへのリンク