落合村・有松村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 00:16 UTC 版)
「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の記事における「落合村・有松村」の解説
落合村(おちあいむら)は、慶長年間(1596年 - 1615年)、東海道の開通に伴い街道沿いへの移住の呼びかけに応じた大脇村の住民により開拓されたという大脇村の支郷である。現在の豊明市新栄町の大部分がこれに該当する。桶狭間の戦いの当時、独立した体裁を持つ村として存在していた可能性は低いが、『尾張国地名考』(1836年(天保7年))は、天正年間にはすでに独立して存在した大脇村の小名のひとつとして落合があり、すでに民家が存在していたことを記していることから、落合なる名称が当地を示す地名として桶狭間の戦い以前に存在していた可能性はある。一説には、この戦いで功績のあった落合小兵衛という人物が褒賞として手にした土地であるというほか、敵味方の首が落ち合ったことが名の由来だとする伝承もある。 有松村(ありまつむら)は、1608年(慶長13年)に尾張藩が開発を始めた村である。現在の名古屋市緑区有松、有松町大字有松などがこれに該当する。落合村と同様、江戸時代初頭に東海道の開通に伴い成立した村であるので、桶狭間の戦い当時には存在していなかったと考えられている。
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