菱池の干拓と新田開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:18 UTC 版)
「菱池 (湖沼)」の記事における「菱池の干拓と新田開発」の解説
近世庶民の資産といえば米であり、この菱池周辺でも順次水田がつくられるようになったが、水害のため十分な収穫を得ることは容易ではなかった。開墾を実行するにあたっては入念な事前調整が行われており、例えば、1875年(明治8年)12月には、直接菱池とは接していない芦谷村に対しても、川筋でつながっているという理由で干拓に伴って村に支障が生じないかどうか確認されている。 このような事前調整を経て、1883年(明治16年)民間資本の導入による菱池の排水工事、干拓事業がスタートした。この干拓事業は本来公共事業として実施する予定であったが、資金難等の問題により事業が進まなかったため、民間資本を導入する方針に切り替えられた。神野金之助が1884年(明治17年)に公払い下げを受け開墾を行い、1886年(明治19年)に完成させた。池の全てが田んぼになった。
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