菊紋と桐紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:25 UTC 版)
古くから菊紋である十六八重菊は皇室の紋として幕府や民衆などに広く認識され、桐紋である五七桐は菊紋の替紋として使用されていた。皇室に対して功績があった者に対して、天皇が菊紋や桐紋を下賜されることは度々あり、一説には承久の乱の際、後鳥羽上皇が鎌倉幕府倒幕の志士達に対して、愛好していた菊の紋を彫刻した刀を賜与されたことが発端ともいわれている。後に足利尊氏や豊臣秀吉なども菊紋や桐紋を授かったという事例がある。菊紋を授かることは名誉かつ光栄なことであったが、主に下賜された家紋は替紋とされていた桐紋といわれ、天皇より任命された摂政・関白・征夷大将軍・太政大臣など統治者らは統治者の行う政策などに於いて功績を残した家来や大名などに、桐紋を贈与することもあったという。皇族の家紋である菊紋や桐紋の権威は増して厳格になり、1591年(天正19年)、1595年(文禄4年)には、豊臣秀吉が菊紋や桐紋の無断使用を禁止する規制を布くほどであった。
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