菊池恵楓園園長の申し入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:20 UTC 版)
「龍田寮事件」の記事における「菊池恵楓園園長の申し入れ」の解説
菊池恵楓園園長の宮崎松記は、1953年(昭和28年)11月黒髪校を訪れ、龍田寮児童の問題を1954年(昭和29年)4月まで解決してほしいと申し入れた。校長はPTAの反対があるので、了承があれば通学させていいと返事した。PTA会長瀬口龍之介(当時熊本県県会議長)を訪ねたが、瀬口は慎重に対処しなければならないと言い、話が進展しなかった。宮崎は熊本法務局に対して、12月2日に「龍田寮非らい健康児童の黒髪校本校通学に関する差別取扱い撤廃」の申告書を提出した。これを聞いた瀬口は、「この問題は啓発活動が先行しなければならない。しまった。」と漏らしている。宮崎松記も瀬口龍之介も医師であり、前者は国の医療機関の代表者、後者は県の政治に関与している人である。出発から平行線であったが児童、教師、保護者、校区民を巻き込み全国的に注目する事件となった。
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