菅と漱石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 00:45 UTC 版)
菅が帝大にいた時、英文学科の2年後輩に夏目金之助がいた。菅は、漱石を五高へ招いたり、円覚寺への参禪を促したり、2人は生涯に渡って親友であり続けた。ちなみに、漱石は、1897年(明治30年)4月18日、正岡子規宛の手紙に、「今春期休に久留米に至り高良山に登り、それより山越を致し発心と申す処の桜を見物致候。......」と書いている。これは親友の管虎雄が病気のため五高を辞して、郷里久留米に引きこもったのを、見舞うための旅行であったようだ(小宮豊隆『夏目漱石』)。能書家としても知られ、漱石の墓碑銘は菅虎雄の手になる。
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