茶の湯と広照
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 19:14 UTC 版)
広照は千利休の弟子である山上宗二と親交があり、利休の茶の湯秘伝の書である『山上宗二記』を贈られた一人である。きっかけは、天正14年(1586年)に豊臣秀吉の怒りを買った宗二が逃れた先の高野山で、天正13年(1585年)の紀州征伐(根来寺焼き討ち)から逃れていた広照の叔父である玄宥と出会ったことが始まりであると考えられている。 宗二は天正16年(1588年)5月から北条領国に入った後、広照と2年ほど茶の湯を通じて親交があったとされる。 天正18年(1590年)、小田原征伐の際、小田原城に籠城した広照は同じく籠城に加わっていた宗二に、血判誓詞をもって秘伝を乞い願ったといわれている。このことから広照は茶道に対し、文化的に高い関心があったと考えられる。 小田原城を脱出する広照に宗二は同行し、同じく豊臣秀吉に投降した。4月10日に利休の仲裁で宗二は秀吉に許された。しかし、茶席において秀吉の怒りを買い、処断されている。
※この「茶の湯と広照」の解説は、「皆川広照」の解説の一部です。
「茶の湯と広照」を含む「皆川広照」の記事については、「皆川広照」の概要を参照ください。
- 茶の湯と広照のページへのリンク