茂木仙子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 茂木仙子の意味・解説 

茂木仙子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 14:08 UTC 版)

獲得メダル
日本
柔道
ワールドカップ団体戦
2002 バーゼル 57kg級
東アジア大会
2001 大阪 57kg級

茂木 仙子(もぎ のりこ、1978年12月8日 -)は、茨城県北相馬郡出身の日本の元柔道選手。現役時代は57kg級の選手。身長159cm。得意技は内股大内刈[1]。2025年3月までは夫である富士学苑高等学校柔道部監督の矢嵜雄大(2002 釜山アジア大会90キロ級で優勝)と共に富士学苑高等学校柔道部外部コーチとして指導していた[2]

人物

柔道は小学校2年生の時に始めた。しかし、八千代松陰高校時代まで際立った活躍は見られなかった[1]。1997年に住友海上へ入社すると力を付け始め、1998年の実業個人選手権57kg級で優勝を飾った[1]。2000年には全国女子体重別で2位になると、福岡国際では福岡県警日下部基栄に敗れるが2位となった[1]。2001年の体重別も日下部に敗れて2位だったが、東アジア大会では優勝を飾った[1][3]。。環太平洋柔道選手権大会では2連覇を達成した[1]。2002年の体重別でも日下部に敗れて2位だったが、ワールドカップ団体戦では優勝メンバーの一員となった。全国女子体重別では日下部を破って優勝した。2003年の体重別でも日下部を破り、大阪市で開催される世界選手権代表に選出された[1][3]。しかし、世界選手権では準々決勝でキューバのユリスレイディス・ルペティに指導3で敗れると、敗者復活戦でも中国の許岩朽木倒で敗れて9位に終わった[1]。福岡国際ではジャパンスポーツコンディショニング協会の植田裕子に敗れて2位だった[1]。2004年の体重別では決勝で会社の同僚である岩藤理恵に敗れて2位にとどまり、アテネオリンピック代表候補に選ばれることはなかった[1][3]。その後引退すると、2007年には大阪世界選手権に一緒に出場した90kg級代表の矢嵜雄大と結婚した[1]。2011年には三井住友海上を退社すると、夫の矢嵜が監督を務める富士学苑高校柔道部の外部コーチとなりともに指導にあたることになると、2015年と2017年の世界ジュニア57kg級で2連覇を達成した舟久保遥香などを育てた[1][4][5]

主な戦績

(出典[1]、JudoInside.com)

脚注

外部リンク

  • 茂木仙子 - JudoInside.com のプロフィール(英語)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「茂木仙子」の関連用語

茂木仙子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



茂木仙子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの茂木仙子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS