芋生ダスティとは? わかりやすく解説

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芋生ダスティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 07:17 UTC 版)

芋生 ダスティ(いもう ダスティ、Dusty Imoo 1970年7月18日 - )は、カナダ連邦ブリティッシュコロンビア州ニューウエストミンスター出身の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー

経歴

日系人の父とカナダ人の母の間に生まれた。WHLでプレーした後、ECHL、IHLのチームを転々とした。

長野オリンピック前に日本代表入りするため、、1994年に来日[1]

1997年12月に帰化が認められ、1998年1月17日に長野オリンピックの日本代表に選出された(同時に帰化した7人のうち、6人が代表に選出されている)[2]

1994-95年シーズンより、西武鉄道アイスホッケー部に加入、第30回(1994/95)、第31回(1995/96)、第34回(1999/2000)の日本アイスホッケーリーグの優勝に貢献した。

2002-03年シーズンを最後に西武鉄道がチームを解散した後は、王子イーグルスに加入した。

長野オリンピックでは3試合に出場、予選リーグのフランス戦では第3ピリオド18分28秒まで2-3と接戦を演じ、フランスが1人退場しパワープレーチャンスとなったところでチームは芋生を下げて6人攻撃での同点を狙ったが逆に2失点2-5で敗れた[3]NHL選手も含むベラルーシ戦では固い守りを見せて2-2の引き分け[4]、13位14位決定戦となったオーストリア戦では3-3からシュートアウトの末3-2で勝利し、インスブルックオリンピック以来22年ぶりの勝利[5]に貢献した[6]

主な受賞

  • 日本アイスホッケーリーグ最優秀選手(1999/2000)
  • 日本アイスホッケーリーグベスト6(1994/95, 1999/2000)[7]

脚注

  1. ^ 21世紀の骨のあるヤツ 第48回”. ぴあ (2000年). 2011年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月28日閲覧。
  2. ^ アイスホッケーの日本選手”. 信濃毎日新聞 (2000年11月14日). 2011年8月28日閲覧。
  3. ^ 信濃毎日新聞 1998年2月9日
  4. ^ 信濃毎日新聞 1998年2月10日
  5. ^ 信濃毎日新聞 1998年2月12日
  6. ^ Biography and Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月28日閲覧。
  7. ^ 『第36回日本アイスホッケーリーグ観戦ガイド』194頁 日本アイスホッケー連盟 2001年

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