良渚文化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 良渚文化の意味・解説 

良渚文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 15:08 UTC 版)

良渚文化時期の遺物
玉璧
玉琮
玉琮に彫られた神の顔面

良渚文化(りょうしょぶんか、拼音: Liángzhǔ wénhuà、Liangzhu Culture)は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。

1936年浙江省余杭県良渚遺跡で発掘された。崧沢文化などを継承しており、黄河文明の山東龍山文化との関連も指摘されている。柱形・錐形・三叉形など多様な玉器の他、なども出土している。分業や階層化が進んでいたことが、殉死者を伴う墓などからうかがえる。

良渚遺跡

宮殿とそれを取り巻く城郭都市墓地工房などの中国最古級の都市遺跡が出土した良渚遺跡は、初期の都市文明を伝えることが評価され、2019年に「良渚古城遺跡」の名で世界遺産に登録された[1]

提唱されている学説

黄帝三苗征服伝説を、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化による三苗征服の痕跡とみなし、黄河文明と長江文明の勢力争いを描いたものとする見方もある[2]

徐朝龍によれば[3]良渚文化は稲作都市文明を形成していた。1000年ほどの繁栄を経て、洪水でこの文化は崩壊する。良渚文化集団の一部は北上し、黄河中流域で夏王朝を興した。やがて夏王朝は支配下にあった東夷后羿(こうげい)部族に倒される。夏王朝の遺族の一部は北西に逃れ、のち四川盆地に移住し、三星堆文化を築いたとする。古人骨では、良渚文化の遺跡(3300BC-2100BC)で60%以上の高頻度で発見されている[4]

ギャラリー

脚注

  1. ^ Archaeological Ruins of Liangzhu City” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月17日閲覧。
  2. ^ 『図説 中国文明史1 文明への胎動』創元社、2006年
  3. ^ 『長江文明の発見』1998 角川書店。また松岡正剛千夜一夜、第三百三十一夜、2001年7月9日
  4. ^ Li, H., Huang, ., Mustavich, L.F. et al. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Hum Genet 122, 383–388 (2007). https://doi.org/10.1007/s00439-007-0407-

関連項目

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」から良渚文化を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から良渚文化を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から良渚文化 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「良渚文化」の関連用語

良渚文化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



良渚文化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの良渚文化 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS