航泊日誌の「改竄」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:06 UTC 版)
1989年(平成元年)11月15日、X元艦長らが航泊日誌を書き改め、衝突時刻を2分遅らせ「午後3時40分」とし、かつ原紙を処分していた(規則違反)ことが発覚し、「改竄」と報じられた。 この問題は翌16日の参議院内閣委員会で取り上げられ、日本社会党の山口哲夫らはX元艦長および航泊日誌に関与した乗員2名の証人喚問を要求した。同年12月27日には、弁護士らがX元艦長と航海科員を証拠隠滅罪・虚偽公文書作成罪で横浜地検に告発したが、嫌疑不十分で不起訴となっている。 事故発生時刻(衝突時刻)の確認の際、艦内のアナログ時計の構造から艦内記録の混乱を避け時刻を統一する必要があり、速力通信受信簿の「15時40分」を採用したもの。実際には、清書前の「15時38分」が正しかった。
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