肺がんの公表、生原稿流出問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:22 UTC 版)
「安原顯」の記事における「肺がんの公表、生原稿流出問題」の解説
「ヤスケンの編集長日記」(bk1サイト)2002年10月29日付の日記で、自ら肺がんであること、余命が1ヶ月と医者から告げられたことを報告した。肺がんと診断されたのはその2年半前で、手術を強く薦められたが、安原はそれを拒否した。命ある限り自宅で仕事をしたいので、自宅に酸素ボンベを設置していたという。「編集長日記」は、同年11月28日まで続いた。その後は入院生活を余儀なくされ、握力がなくなりワープロが打てなくなったため、「音声入力ソフト」や口述筆記を使ってまで原稿を書こうとした。2003年1月20日死去。63歳没。 没後、担当していた作家の自筆原稿を安原が無断で古書店に売却していたことが明らかとなる。2003年3月、坪内祐三は、『en-taxi』(扶桑社)創刊号においてこのことを取り上げ「私は死をもってその人を赦すことをしない」と安原を強く批判した。村上も前述のエッセイで困惑の思いを述べた。『海』1980年12月号に掲載されたスコット・フィッツジェラルドの翻訳『氷の宮殿』の生原稿73枚は100万円を超す値段で神保町の古書店で売られていたという。
※この「肺がんの公表、生原稿流出問題」の解説は、「安原顯」の解説の一部です。
「肺がんの公表、生原稿流出問題」を含む「安原顯」の記事については、「安原顯」の概要を参照ください。
- 肺がんの公表、生原稿流出問題のページへのリンク