職業としての能楽師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:24 UTC 版)
観世栄夫によると、能楽協会における暗黙の了解として能楽を職業とする者には平等に仕事を斡旋することとなっており、シテ方の場合は年間で30番程度の舞台をこなしているとされる。 また、能楽の三役は人手不足が深刻であり、一日に2件や3件の仕事を掛け持ちすることが常態化しているとされる。 なお、能楽を演じたり教えたりして報酬を得る行為は、能楽協会会員以外であっても法律上は可能であり、実際に和泉元彌は能楽協会から離れた後も自身と親族で「株式会社和泉宗家」を興して狂言師として活動を続けている他、観世栄夫が能楽協会退会中に仕事として新劇俳優や学生に能を教えたり、国外で観世寿夫らとともに能を演じたりしたこともあった。協会に所属しないでもそれぞれの流儀から師範免状などを受けて活動する、セミプロ的な者もいる。しかし現状では、能楽協会会員以外の者が仕事として演能を依頼されることは、和泉のような極めて稀な事例を除き、日本国内ではめったにない。観世栄夫が特例として能楽協会会員に混じって日本国内で能を演じたこともあったが、この時でも観世栄夫に支払われた報酬は出演料という形を取らなかった。
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