美当一調
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美当 一調(びとう いっちょう、1847年(弘化4年)12月22日 - 1928年(昭和3年)11月16日)は、明治時代に九州地方で活躍した講談(軍談)師。肥後国(現熊本県)生まれ。本名の尾藤新也でも活動する。 講談に三味線を加えた形式で、主に日清戦争、日露戦争などを題材として「忠君愛国」「仁義忠孝」を歌うものとして高く評価され、 後に九州から日本全国を制覇した桃中軒雲右衛門を通じ、浪花節の成立に大きな影響を与えた。
- ^ 三百石から五百石まで異説あり
- ^ 安田『国家と大衆芸能』p.21
- ^ 倉田による
- ^ 安田『国家と大衆芸能』p.21
- ^ 1898年(明治31年)9月24日 ●新講談と筑前琵琶 戊辰及び西南の役に奔走せる身も病の為に方向を改め尚武的一種特別の新講談を発明したる九州人尾藤新也は本日九段坂偕行社の将校会に招かれて得意の軍談を講演す(万朝報) 出典:芝清之『新聞に見る浪花節変遷史』
- ^ 安田『国家と大衆芸能』p.22-23
- ^ 毎回札止め満員となる程では無く、時折満員になる程度であったという
- ^ 『完本正岡容寄席随筆』に「日本太郎」p.190-199
- ^ 倉田『明治・大正の民衆芸能』美当一調の章
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