総同盟分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 21:10 UTC 版)
関東大震災後、内部で共産主義者と社会民主主義者との間の対立が先鋭化した。総同盟は日本共産党の党員を除名し、1925年に総同盟は二つに分裂、共産党系は日本労働組合評議会を結成し、総同盟の勢力は半減した(総同盟の第1次分裂)。 1926年には第2次分裂により日本労働組合同盟、1929年には第3次分裂により労働組合全国同盟がそれぞれ結成された。この結果、総同盟は社会民主主義勢力の右派と位置づけられる立場となり、「現実主義」「反共主義」「労使協調主義」を掲げて運動を続けた。1932年には全国労働組合会議・日本海員組合など11団体28万人からなる日本労働組合会議の結成により当時の労働運動の最大勢力となった。
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