紫衣と事件に至る事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 22:43 UTC 版)
紫衣とは、紫色の法衣や袈裟をいい、古くから宗派を問わず高徳の僧・尼が朝廷から賜った。僧・尼の尊さを表す物であると同時に、朝廷にとっては収入源の一つでもあった。 これに対し、江戸幕府はかねてより寺院・僧侶間の訴訟・争論に対処しており、公家の不行跡である猪熊事件と併せて、宗教界・朝廷の統制を行う必要性を認識していた。慶長18年(1613年)、幕府は公家衆法度と共に「勅許紫衣竝に山城大徳寺妙心寺等諸寺入院の法度」(「勅許紫衣法度」「大徳寺妙心寺等諸寺入院法度」)を定め、さらに慶長20年(1615年)には禁中並公家諸法度を定めて、朝廷がみだりに紫衣や上人号を授けることを禁じた。 一 紫衣の寺住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、且つは臈次を乱し、且つは官寺を汚し、甚だ然るべからず。向後に於ては、其の器用を撰び、戒臈相積み智者の聞へ有らば、入院の儀申し沙汰有るべき事。(禁中並公家諸法度・第16条)
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