系譜梅棹家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:25 UTC 版)
梅棹忠夫『行為と妄想-私の履歴書』18-21頁によれば、 「初代儀助は文政年間(1818年 - 1829年)、現在の滋賀県長浜市西浅井町菅浦で生まれた。“梅棹”という姓は“水軍の「棹」”と関係がある。初代から梅棹姓を名のっているが、この奇妙な姓は水軍の棹と関係があるにちがいないが、今日では菅浦村内にはこの姓を名のる家はのこっていない。 儀助は幕末(1840年頃)、京都にでて、大工になり棟梁として西陣の大きな寺の建築を請け負った。儀助は晩年にいたって、大工を廃業し、木工品の製造をはじめたが、のちに下駄の製造販売に転じた。成功して、西陣でもかなり大きい履物商をいとなむようになり、さらに化粧品などの小間物の店を開いた。」という。 儀助━━菊之助━━菊次郎━━忠夫
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