糸島平野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/10 06:37 UTC 版)
糸島平野は、『魏志』倭人伝の百余国の一国と想定されている「伊都国」の所在地とする説が有力で、その王墓と推定されている三雲遺跡の甕棺墓から重圏「精白」銘鏡、重圏斜角雷文帯「精白」銘鏡、連弧文「精白」、銘鏡などの前漢鏡35面とともにガラス壁、金銅四葉座飾金具、ガラス勾玉、管玉、細形銅戈、中細銅戈などが出土している。また、弥生時代終末期の平原遺跡、九隈山古墳があり、さらに、稲作開始期の遺跡として最近調査された石崎曲り田遺跡がある。 糸島市は、古くから支石墓の上石らしい大石が、水田や畑地に散在して露出しているところである。
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