糸井大塚古墳とは? わかりやすく解説

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糸井大塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 11:39 UTC 版)

糸井大塚古墳

墳丘全景
(中央に円丘部、右に方形部)
別名 塚の本1号墳
所属 塚の本古墳群
所在地 広島県三次市糸井町
位置 北緯34度44分55.00秒 東経132度53分56.45秒 / 北緯34.7486111度 東経132.8990139度 / 34.7486111; 132.8990139座標: 北緯34度44分55.00秒 東経132度53分56.45秒 / 北緯34.7486111度 東経132.8990139度 / 34.7486111; 132.8990139
形状 帆立貝形古墳
規模 墳丘長65m
高さ8-10m
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 5世紀前半
史跡 広島県指定史跡「糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳)」
地図
糸井大塚
古墳
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糸井大塚古墳(いといおおつかこふん)は、広島県三次市糸井町にある古墳。形状は帆立貝形古墳。広島県指定史跡に指定されている。

概要

広島県北部の三次盆地南縁、美波羅川の河岸段丘上に築造された大型帆立貝形古墳である[1]。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は、前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、方形部を南東方に向ける[2]。墳丘長は65メートルを測り、帆立貝形古墳としては広島県内で最大規模になる[3][2]。墳丘表面では葺石円筒埴輪片が検出されているほか、方形部付近で家形埴輪が認められる[2]。墳丘周囲には周溝(幅約30メートル)が巡らされるが、西側は2号墳(消滅)が存在した関係で幅が狭められている[2]。埋葬施設は明らかでない[2]

この糸井大塚古墳は、古墳時代中期の5世紀前半頃の築造と推定される[2]。広島県には帆立貝形古墳が多く、特に三次地域はその集中的な分布地域として知られており、畿内ヤマト王権との関係性を考察するうえで注目される[4][3]

古墳域は1994年平成6年)に広島県指定史跡に指定されている[3]。また、周辺では本古墳のほかにも多くの古墳が分布することが知られる。

墳丘

墳頂
墳頂から方形部・周溝を望む

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 古墳全長:100メートル以上 - 周溝を含めた全長。
  • 墳丘長:65メートル
  • 円丘部(後円部)
    • 直径:56メートル
    • 高さ:8-10メートル
  • 方形部(前方部)
    • 幅:19-20メートル
    • 高さ:(推定)3メートル

墳丘周囲の周溝の形状は、現在も水田区画に認められる。

文化財

広島県指定文化財

  • 史跡
    • 糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳) - 1994年(平成6年)10月31日指定[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 塚の本古墳(平凡社) 1982.
  2. ^ a b c d e f g 史跡説明板。
  3. ^ a b c d 糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳)(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。
  4. ^ 『霧に包まれた古墳の謎 -大王の時代と三次盆地-(平成30年度秋の特別企画展展示図録)』 広島県立歴史民俗資料館、2018年、pp. 19-31。

参考文献

外部リンク




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