糸井博明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 14:32 UTC 版)
糸井 博明(いとい ひろあき、1974年 -)は、京都府宮津市出身の作家、障害者生活支援員、引きこもり支援活動家。
14歳から31歳までの17年間、引きこもりを経験した[1][2][3][4]。
経歴
中学時に授業に付いていけなくなった事をきっかけに学校に行けなくなった[1][3][4]。当時祖母と父親の仲が悪く、父親はそのストレスを物に当たったり壊したりして解消しており、糸井は家でも怯えるような毎日を過ごしていた[3]。「祖母や父親の顔色をうかがい、どうすり抜けようか、生き延びようか考えていた」と語っており[3]、誰にも相談する事ができなく[3][4]、部屋から出られなくなったという[1][3][4]。
引きこもり始めてから15年目には髪は膝下まで伸び、歯も欠け、体は限界に達していた[1][2][3][4]。
その後に自らSOSを出した事で精神科の閉鎖病棟へ約3年間入院し、強引に引きこもりから脱した[1][4]。
退院後に様々な仕事を経験した後、就労継続支援B型「たんば園」(兵庫県)にて障害者生活支援員となる[5]。
2020年代に入り、テレビ局等の報道機関に多く報道されるようになり、多くの人々に存在を知られるようになった[1][2][3][4][5]。
2024年3月6日、自らの引きこもり経験を記した自伝『スイングバイ: 17年間の引きこもりを経て、社会復帰を目指し一歩ずつ歩み続けた今、伝えられること』を発表し[6]、現在は引きこもり支援活動家として講演会等にても積極的に活動している[7][8][9]。
書籍
- 糸井 博明『スイングバイ: 17年間の引きこもりを経て、社会復帰を目指し一歩ずつ歩み続けた今、伝えられること』パレード、2024年3月6日。ISBN 9784434335587。
脚注
- ^ a b c d e f “14歳から17年間”ひきこもり” 「誰かのために」壮絶体験を発信 本を自費出版で社会に認められた実感 | 特集 | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ”. ニュース. 2025年4月26日閲覧。
- ^ a b c “【17年ひきこもり】もがきながら生きる日々 自分の半生をつづった本を自費出版(カンテレYouTubeチャンネルより)”. 宮城県社会保障推進協議会(宮城県社保協)BLOG (2024年12月8日). 2025年4月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “17年間の「ひきこもり」 当事者が体験を語る 中学校の授業についていけなくなり 自信喪失、虚無、被害妄想… 再出発のきっかけは精いっぱいの“SOS” | 特集 | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ”. ニュース. 2025年4月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「文春オンライン」編集部 (2024年11月4日). “中2で不登校→17年間“引きこもり生活”→31歳で精神科病院に入院…「死ぬ一歩手前」まで追い詰められた50歳男性が語る、幼少期の複雑な家庭環境 | 家族と病”. 文春オンライン. 2025年4月26日閲覧。
- ^ a b “自室にひきこもり17年 「気持ち受け止める相談員に」 福祉の道一歩ずつ - 丹波新聞” (2023年5月7日). 2025年4月26日閲覧。
- ^ “スイングバイ 糸井博明(著) - パレード”. 版元ドットコム. 2025年4月26日閲覧。
- ^ “語ろうひきこもりのこと - 丹波新聞” (2025年3月6日). 2025年4月26日閲覧。
- ^ “イベント | 京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト”. kyoto-hikikomori-net.jp. 2025年4月26日閲覧。
- ^ “その一歩、楽しいかも 丹波 ひきこもり経験者講演 /兵庫”. 毎日新聞. 2025年4月26日閲覧。
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