米国移民事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:02 UTC 版)
1898年(明治31年)、アメリカ合衆国のワシントン州シアトルに渡る。グレート・ノーザン鉄道のシアトルまでの延伸計画にともない、日本人工事人夫を供給するため、「東洋貿易会社」(The Oriental Trading Co.)を設立した。 1899年(明治32年)に一時帰国。憲政党(1900年より立憲政友会)静岡支部幹事として静岡県当局にパイプのあった実兄の山岡昂三と共謀し、県当局と結託して、1900年(明治33年)1月から旅券を不正に大量発給させる。同年8月、政友会静岡支部の内紛をきっかけとして事件が発覚し、昂三は8月23日に逮捕され、1901年5月22日、私文書偽造行使・詐欺受免状で重禁錮6月・罰金20円の判決を受けた。しかし音高自身は、アメリカに戻っていたため逮捕を逃れている。
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