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米倉昌達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/06 16:16 UTC 版)

米倉昌達

米倉 昌達(よねくら まさよし[1][2] / まさたつ[3]1886年明治19年)7月15日[3] - 1937年昭和12年)2月17日[1][3])は、大正から昭和期の薬学者、政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・山口、旧名・重士[3]

経歴

子爵山口弘達の三男として生まれ、1913年(大正2年)子爵・米倉昌臧の養子となり[3][4]、同年3月、昌達と改名[2]。養父の死去に伴い、1916年(大正5年)12月20日、子爵を襲爵した[3][4][5]

1911年(明治44年)東京帝国大学医科大学薬学科を卒業[1][4][6]。さらに1916年、同大学医学科を卒業した[1][4]

1917年(大正6年)東京帝国大学伝染病研究所技手に就任。以後、同大学医科大学化学教室副手、同附属医院分院薬局長、日本医学専門学校教授兼学生監、千葉医科大学講師、京都薬学専門学校校長、昭和女子薬学専門学校校長、日本医科大学教授、同校学生監兼予科主任などを務めた[1][4][6]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]研究会に所属して活動し[1]、死去するまで3期在任した[1]

1937年の死去後、米倉家は女戸主となり栄典を喪失した[3]

親族

  • 先妻:寿子(養父昌臧長女)[3]
  • 後妻:道子(丸尾錦作長女)[3]
  • 長女:達子(養子・五郎夫人)[3]
  • 次女:安子(山田義元夫人)[3]
  • 三女:芳子(蒲田太郎夫人)[3]
  • 四女:昭子(井戶垣忠男夫人)[3]
  • 養子:五郎(市井牧三郎七男)[3]
    • 長女:美矢子(武井紀夫夫人)[3]
    • 次女:弓子(高間一彥夫人)[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』60頁。
  2. ^ a b 『官報』第176号、大正2年3月4日。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『平成新修旧華族家系大成 下巻』833-834頁。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 下』ヨ79-80頁。
  5. ^ 『官報』第1317号、大正5年12月21日。
  6. ^ a b 『事典 日本の科学者』858頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、26頁。
  8. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 板倉聖宣 監修『事典 日本の科学者 : 科学技術を築いた5000人』日外アソシエーツ、2014年。


日本の爵位
先代
米倉昌臧
子爵
六浦米倉家第3代
1916年 - 1937年
次代
栄典喪失



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