米倉昌照とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 米倉昌照の意味・解説 

米倉昌照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 13:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
米倉昌照
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 天和3年(1683年
死没 正徳2年5月23日1712年6月26日
改名 宮内(幼名)、昌照
別名 忠左衛門(通称)
戒名 特峯院殿大機宗俊大居士
墓所 大阪府大阪市天王寺区六万体町の鳳林寺
官位 従五位下丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
下野皆川藩
氏族 米倉氏
父母 米倉昌明、須田為景娘
兄弟 昌照、昌行、武田信常室、小堀政房正室ら
石川憲之
忠仰
テンプレートを表示

米倉 昌照(よねくら まさてる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名下野国皆川藩3代藩主。六浦藩米倉家3代。官位従五位下丹後守

生涯

天和3年(1683年)、2代藩主・米倉昌明の次男として誕生[1]。正室は石川憲之の娘。

元禄5年(1692年)11月1日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁し、元禄15年(1702年)の父の死去により跡を継ぐ。宝永6年(1709年)9月1日に叙任し、正徳元年(1711年)に大坂城守衛となるが、翌正徳2年(1712年)5月23日、大坂で死去。享年30。

跡を養子・忠仰柳沢吉保の六男)が継いだ。

脚注

  1. ^ 昌照の生年は天和3年(1683年)と言われているが、もしそうだとすると、父親の昌明が11歳(しかも数え年)で生まれた息子であるということになる。しかも次男である。このため、昌照の生年はかなり疑わしく、もっと年齢を繰り下げる必要があるとも思われる。一説には昌明の父・昌尹の子ではないかともされている。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「米倉昌照」の関連用語

米倉昌照のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



米倉昌照のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの米倉昌照 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS