田沼意斉とは? わかりやすく解説

田沼意斉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 10:12 UTC 版)

 
田沼意斉
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 安政2年(1855年)7月
死没 大正14年(1925年9月3日
改名 金弥(幼名)、意斉
墓所 谷中霊園
主君 明治天皇
上総小久保藩知事
氏族 大岡氏田沼氏
父母 父:大岡忠恕、養父:田沼意尊
兄弟 大岡忠貫稲葉正善意斉、安藤某ら
智恵
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田沼 意斉(たぬま おきなり)は、上総国小久保藩第2代(最後)の藩主(知藩事)。相良藩田沼家9代。

略歴

安政2年(1855年)7月、武蔵国岩槻藩主・大岡忠恕の五男として誕生した[1]

明治2年(1869年)に小久保藩主田沼意尊の養嗣子となる。明治3年(1870年)2月22日、意尊の死去により家督を相続し、小久保藩知事に就任した。学問を奨励し、藩校を拡大するなどの文治政策を採用している。明治4年(1871年)2月14日、藩政を大参事に任せ、遊学することを許可される。同年2月25日、東京に移る。同年7月14日、廃藩置県により知藩事を解任された。

明治6年(1873年)11月、家督を意尊の長女の智恵に譲って隠居し、同時に田沼家からも離れた。谷中霊園に墓があり、大正14年(1925年)9月3日に70歳で死亡となっている。大岡忠恕の墓も隣接して建てられている。[要出典]

脚注

当主
先代
田沼意尊
相良藩田沼家
1870年 - 1879年
次代
田沼智恵




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