篭城した一揆軍の竪穴建物群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:11 UTC 版)
「島原の乱」の記事における「篭城した一揆軍の竪穴建物群」の解説
原城の本丸西側からは立て籠もった一揆軍が使用したと推測される竪穴建物跡群が検出された。一辺が約2~3mを測る方形の竪穴建物跡である。竪穴建物跡群は規格性があり、同一集落を基本とした家族単位で使用したと考えられている。さらに冬場の籠城であるにもかかわらず、竪穴建物では、個別に炉やカマドといった暖房や煮炊きにかかわる遺物や遺構の痕跡が見つかっていない。それらのことから、籠城中に失火で火災を起こさないようにした大名軍勢並みの軍規の存在を物語るといえる。
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