築造年代と歴史的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 23:27 UTC 版)
築造時期については、甲斐銚子塚古墳との前後関係をめぐる議論があり、4世紀半ばから5世紀前半まで幅があったが、現在では鋲留の手斧や短甲の様式から大丸山古墳が先行すると考えられている。 東山地域には弥生時代後期後半から古墳時代前期前半にかけて方形周溝墓が築かれた上の平遺跡があり、甲府盆地において安定した生産力を得られる地域であったと考えられている。 甲府盆地では富士山西麓(のちの中道往還)を経て畿内の影響を受けた古墳文化が流入し、大丸山古墳東側の米倉山には山梨県内初の古墳で唯一の前方後方墳である小平沢古墳が築造され、伝統的な方形周溝墓の分布する地域へも古墳がもたらされた。 小平沢古墳以後に前方後円墳である大丸山古墳が出現するため、この頃には甲府盆地も畿内で成立したヤマト王権へ汲み込まれていったと考えられている。以後、東山地域には畿内色の強い甲斐銚子塚古墳が出現する。『国造本紀』の記事においても、景行天皇の時代に甲斐国造が設置されたと記されており、甲斐銚子塚古墳の被葬者を塩海足尼と見る場合、大丸山古墳はその先代である臣知津彦命を埋葬した可能性がある。また、東側には大丸山古墳と同時期(前後関係不明)の方形周溝墓が見られる東山北遺跡があり、両者の政治的関係が問題とされている。
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