筒井正次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 11:22 UTC 版)
『寛政重修諸家譜』には、福住順弘の二男で筒井順慶の養子になった人物として筒井順斎の名があり、その子として正次がいる。正次の仮名は藤五郎、官途は主殿助、または主殿頭。諱は政次ともされる。 順斎は大和国福住に5,000石、武蔵国足立郡に1,000石を領し、慶長15年(1610年)に死去した。その跡を継いだ正次は、慶長20年(1615年)の大坂の陣の際、郡山城を守備し、大軍の大野治房らに対し寡兵で抗しきれず城を退去。5月3日に自害した。享年27。 『和州諸将軍伝』に登場する定慶は5月10日に28歳で自害したとあり、この定慶は正次と同一人物とも考えられる。 正次の跡は子の正信が継いでおり、大和の所領は失ったものの、その後も旗本として続いた。日露和親条約の交渉を行った筒井政憲はその末裔となる。
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