第2次NOW
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 04:51 UTC 版)
「ネットワーク・オブ・レスリング」の記事における「第2次NOW」の解説
その後、登坂栄児が代表に就任し(当時、最年少のプロレス団体の代表)、登坂を始めとする一部の選手やスタッフで、1994年1月に第2次NOWとして活動再開するも長続きせず、10月27日、東京都八王子市のマルチパーパスプラザ大会を最後に解散。その後、ナガサキは当時WARの営業部長であった小鹿信也(現:グレート小鹿)と共に大日本プロレスを設立。所属選手の谷口裕一と代表の登坂は大日本、山川征二(現:山川竜司)などは東京プロレスに移籍した(後に山川は大日本に移籍)。 同じくSWSから分かれたWARに天龍源一郎という一枚看板のプロレスラーがいたことに比べ(天龍はSWSでは「レボリューション」を阿修羅・原やサムソン冬木(現:冬木弘道)らと結成して、その旗頭であった)、本来ならメインイベントを張るべき高野兄弟が退団した後に看板となるプロレスラーがいなかったことが、解散を早めた原因であると思われる。
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