第2回世界探検旅行(1914 - 1915)
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「菅野力夫」の記事における「第2回世界探検旅行(1914 - 1915)」の解説
1914年8月、用意を十分に行い、自転車で日比谷公園を出発。色々な会社に寄付を頼みながら走行。東海道を走破して、敦賀港からウラジオストク行の船に乗る。9月上陸。同地の日本人と精力的に会っている。大陸では殆ど、自転車旅行は行わなかった。写真の有効性を見抜き、自分の探検旅行の写真を撮影、絵葉書にした。まだカメラを持っていなかったので、写真をもらった。到着翌日、ウラジオストクの日本人小学校で講演したが、彼の多数の講演の最初のものである。ハバロフスク、黒河、ブラゴウシチェン市、アレフセースカ、ネルチンスク、チタ、イルクーツク、満州里、ハイラル、チチハル、奉天、上海を旅行している。現地での新聞に大々的に報じさせ、また講演も多い。上海ではインフルエンザと腸チフスで闘病後、1915年7月帰国した。多くの新聞が彼の帰朝を報道した。
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